1億円を貯めたらFIRE出来る人生ゲーム PART①

資産運用

はじめに

ぼくはFIREがしたい。というよりも、お金や仕事に縛られない生き方をしたい。最近では「FIRE」という単語がメジャーになり、多くの人がFIREを目指すようになっている。その流れに逆らうわけもなく、むしろ心地よい流れるプールで夏の思い出を作るべく、僕も流れに乗っている。今日は、僕が何故FIREを目指すようになったのか、について記したい。この記事を読んだ人が、FIREってなんなのか、FIREしたくなる気持ちが分かるかも、FIREって目指す分にはタダだし楽しそうだな、そんな風に思ってもらえたら嬉しい。

幼少期の貧乏コンプレックス

ぼくは、幼少期から自分の家が貧乏だと思っていた。大人になってから、「親が子どもの教育資金を貯めるために倹約した生活を送っていただけ」、ということが分かったが、幼き心に刻まれていた記憶は今も消えない。そう思った理由はいくつかある。

1.外食は半年に1回、サイゼなどのファミレスにいければ良いほう

2.家に炭酸ジュースやお菓子があったことはなく、お菓子は食パンなど

3.もちろんTVゲームなんてあったことはなく、数少ないおもちゃは近所のお兄ちゃんのおさがり

4.今でも覚えているクリスマスプレゼントは、ある年はコナンの漫画5巻(8~13巻という微妙なとこ)、ある年はDVD1枚、ある年は本1冊

5.4人兄弟の為、単純に1人子の家より1/4しかお金をかけてもらえない(分数と割り算を習ってからすぐに実生活で活用した計算)

(↑これを書きながら、ダウンダウンの浜田さんが歌っている「チキンライス」の歌詞を少し思い出した。)

しかし、これだけを見ると、いやおれのほうが、わたしのほうがもっと貧乏だった、と思う読者もいるかもしれない。だが、友達の家でジュースとお菓子を手にしながらTVゲームをするとき、クリスマスプレゼントの結果を自慢し合うとき、長期休みに友達から旅行先のお土産をもらうとき、、、自分の家は、周りに比べて貧乏なのだと痛いほどに思わされた。

特にコンプレックスに感じたのは、自分がクラスの中で運動神経も良く、頭も良く、リーダー的な存在だったからだろう。幼心ながらに、変に自分のヒエラルキーの高さを実感していたからこそ、そんな自分と、自分の家の資産状況が一致していないことが、なんともいえないわだかまりとして、いつも喉の奥に引っ掛かっていた。

学生時代の貧乏コンプレックス

高校生の時、ぼくは親元を離れて、寮生活をしながら高校に通っていた。寮の部屋は4畳ほどと狭く、1人暮らしに必要な家電や家具などを置いてしまえば、足の踏み場は殆どなくなった。東日本大震災が起き、外出先から帰ってきても、そもそも足の踏み場が無かったため、何が最初から落ちていて、何が地震で倒れたものなのか把握できなかった。もちろんだが、お小遣いなんて贅沢なものは貰えなかった為、部活帰りに友達が買うお菓子やジュースを、少し分けてもらっていた。楽しみと恥ずかしさが混じった感情を胸に過ごした淡い青春時代だった。

大学生になってからは、アイスホッケー部に所属し、ひたすらにアイスホッケーに打ち込んだ。しかし、全身に防具をつける競技である為、非常にお金がかかる。ふつう、新入生は最初に貸し防具というものを使い、徐々に自分の防具を買いそろえていく。貸し防具なんて、サイズも全然合ってないし、なにより防具としての機能を果たしているのかも怪しくなるくらいぺらぺらな為、みんな1年の夏休みまでには自分の防具を揃えるのが普通だった。僕は、引退試合の時も全身貸し防具だった。ペラペラを身に纏って、厚みのある選手生活を過ごしていた。

アイスホッケー部は、スケートリンクを貸し切って練習する為、部費がめちゃくちゃ高い。その部費を捻出するために、練習がない日は、基本的にバイトをしていた。また、長期休みの部活の合宿では、1回で10万以上のお金が必要になり、ギリギリまで貯められなかったときに、ネットでお金の稼ぎ方を調べまくって、人生ではじめて、「せどり」に挑戦した。

社会人になっての気づき

社会人になる頃には、自分の父親の会社が大体どれくらいの給料をもらえる会社なのかを知っていた為、何故、「教育資金のため」とはいえ、あそこまで倹約・節約にまみれた生活を過ごしていたのかとても不思議に思った。もっと、何かしらの方法があったのではないか、倹約・節約で学べたことはもちろんあるが、学べなかったものは非常に大きかったのではないか。そんなことを考えるようになった。

そういうことを考えるうちに、自分はお金持ちになりたいという欲が強くなった。そして、お金持ちになる方法を真剣に調べ、学び始めた。

そんな時に出会い、衝撃を受けたのが何を隠そう「金持ち父さん、貧乏父さん」だ。ビビった、いつの間に僕の生い立ちが書籍化されてたのかと思い、貧乏父さんの息子である僕は、ページをひたすら捲り、何度も何度も読んだ。そして、価値観という価値観をひん曲げられた。もし、タイムマシンに乗って過去に戻れるのなら、父親の入社初日に「金持ち父さん、貧乏父さん」をそっとデスクの上に乗せておくだろう。

勘違いしないでもらいたいが、僕は父さんを尊敬している。4人の子どもを全員大学まで行かせ、自分は仕事の愚痴も弱音もはかず、毎日朝早くから夜遅くまで勤勉に働いていた。休日は疲れているにも拘らず、精一杯の家族孝行をしてくれた。父さんが自分の為に嗜好品を買っているところなどみたこともなく、60歳になった今もなお、2,30代のころに着ていた服を着ている。

幸せの定義は人それぞれであり、お金があるから幸せになれるとは限らない。そんなことは重々も承知している。だが、お金があると不幸から身を守ることが出来る。だから僕は、自分と、自分の身の回りの大切な人を守る為に、お金持ちになろうと決心を固めるようになった。

出典:でんじゃらすじーさん

1億円という大台

パートナーに、自分がFIREをしたいと考えていると伝えたとき、彼女はすんなりと「いいんじゃない」と言ってくれた。但し、僕も自分勝手にFIREをしたいわけではなく、しっかりと身の回りの人の幸せを守りながら、いつまでも生きていきたいと思っている。そういう想いを伝えたところ、2人で話し合った結果、「純資産1億円を貯めたらFIREしてよい」との結論に至った。ここら辺は彼女の厳しさが際立った。笑 だが、そのくらい高いハードルのほうが、様々な方法を試しながらFIREまでの道のりを楽しめると考えるし、それが出来れば、きっとFIREしてからもお金に困らないだけの知恵と経験を身につけているだろう。

そんなこんなで、1億円を貯めたらFIRE出来る人生ゲームの旅が開幕した。

勇者JINは、木の枝と薬草を片手に、第一村人に話しかけることにした・・・

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