青春は密です。密のように甘く、そして時々ほろ苦い。

JINより

「青春は、密です」。この言葉で締めくくられた今年の甲子園は、コロナになって以来、もやもやと霧が曇っているような時期を過ごしていた我々に、久しぶりに鮮やかな夏景色を見せてくれた。こうなってくると、あとは24時間テレビのチャリティーマラソンの終わりとともに夏の終わりがきてしまう(そして、つい一昨日、兼近さんの素晴らしい走りとともにサライの大合唱が夏の夜空に響き渡った)。社会人の方々は、多くの人々がお盆休みが終わって社会復帰に苦しんでいる時期だろう。そして、学生のみんなはそろそろ夏休みの宿題がお尻に火をつけ始めてくる頃だろう(もう全身火だるまの人は、大人しく友達の力を借りるか、綺麗な土下座の角度を研究し始めることをおススメする)。

そう、この時期は燃え尽き症候群になりやすいのである。そんな自分を含めた多くの人の燃え尽き症候群を打ち消すために、言葉を綴っていきたくおもう。

「青春は、密です」の言葉から、自分の学生時代を思い返してみよう。

「青春は、密です」。この言葉は、多くの社会人の胸に、まっすぐに突き刺さったのではないだろうか。社会人になると、学生の頃の情景、雰囲気、空気を覚えているようでなかなか思い出せなくなるものである。また、社会になって良くも悪くも様々にもまれてしまっている為、学生の頃に比べたらその瞳は必ずしも透き通っている状態を保てているわけではないだろう。更には、メディアで取り上げられる若者のニュースというものは、おおよそついていけない最先端のトレンド(K-POPやファッション、グルメ、SNSなど)に加え、少年犯罪などのニュースなどが多く、良くも悪くも「子どもだなあ、若いなあ」と思いがちになってしまう。

だが、今回の仙台育英高校の監督の言葉を聞いたときに、一旦学生時代のことをゆっくり思い出してみるのも悪くはないのでは、と思った。知らず知らずのうちに上からになってしまっていた目線を、もう一度学生たちと同じ高さに合わせてみるのはどうだろうか。そして、今の学生がどんな気持ちなのか想像するのも悪くはないだろう。

もし、自分がコロナ禍での青春を送ることを余儀なくされたら。。。

10中、80,90発狂しているのではないだろうか(発狂している学生たちよ、間違っていない、抗おう今の理不尽な世界に!)。学校で友達と会って話してふざけることもできない、大好きな部活動の練習を辞めなくてはいけない、思い出作りの修学旅行などにも行けないかもしれない、そもそも学校という空間に居られる時間が少ない・・・。コロナが様々な面で技術の発展を後押しして、世の中はオンラインの世界で繋がる機会が非常に多くなった。そして、それと同時にリアルでの出会いが減ってしまったのも確かであろう。

オンラインで繋がることが一概に悪いとは思っていない。例えば、オンライン上では国境がないから簡単に海外の方とも繋がれるため、よりグローバルな環境に身を置くことが出来る。通勤時間や通学時間などをショートカット出来る分、もっと生産性の高いことに時間を割くことが出来る。1度に多くの人と出会えることが可能になったり、なかなか普段は出会えないような距離・世界にいる人と出会うことも可能になるだろう。

その一方で、「青春は密です」の言葉の通り、学生時代には密な空間が醸し出す独特の世界がある。それは、今の大人にとっては非常に懐かしく、甘く、時に甘酸っぱく、なんならほろ苦くもある世界である。それは、逆説的に言えば、密だからこそ織りなされる世界でもあるのではないだろうか。まだ上手く人間関係を構築し合えない若者たちが、近すぎる距離に戸惑い、時にぶつかり合いながらも絆を深めていく。そんな時間が、後の世界を生きるうえでとても大切な時間となることもある。もちろん、「密」=友達が沢山いる、ということではない。そのような雑多な世界に身を置くということである。なので、例えあまり友達がいなくても、なんなら不登校になってしまっていても、住んでいる土地に若者がほとんどいないという過疎地であったとしても、若いながらに様々なことに葛藤しているその時間こそが青春なのである。

ほんとうにポジティブに生きれる人は、コロナの世界でも上手く生きていき、なんならそれを逆手にとって利用してやる!くらいの気持ちでいるのだろう。だが、自分にはそんな上手く生きれる自信がない。コロナ禍で青春を送ることを余儀なくされるということは、それくらい非常に厳しい環境を強いられていることである。我々、おとなたちはそのような環境をいち早く改善してあげられるよう考えていく義務があるように思われる。未来の世界を背負う若者に、例えコロナ禍であっても大切なことを教えられるような環境づくりをしていくことが大切である。そして、それを見事に体現したのは、今回の仙台育英高校のメンバーと監督ではないだろうか。だからこその、監督のあのスピーチなのである。

Q.今年の3年生は入学した時から、新型コロナウイルスの感染に翻弄されてきました。それを乗り越えての優勝。3年生にどんな言葉をかけたいですか。

A.入学どころか、たぶんおそらく中学校の卒業式もちゃんとできなくて。高校生活っていうのは、僕たち大人が過ごしてきた高校生活とは全く違うんです。青春って、すごく密なので。でもそういうことは全部ダメだ、ダメだと言われて。活動してても、どこかでストップがかかって、どこかでいつも止まってしまうような苦しい中で。でも本当にあきらめないでやってくれたこと、でもそれをさせてくれたのは僕たちだけじゃなくて、全国の高校生のみんなが本当にやってくれて。

 例えば、今日の下関国際さんもそうですけど、大阪桐蔭さんとか、そういう目標になるチームがあったから、どんなときでも、あきらめないで暗い中でも走っていけたので。本当に、すべての高校生の努力のたまものが、ただただ最後、僕たちがここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います。

(一部引用:「須江監督インタビュー」)

なので、燃え尽き症候群になりかけている、社会人の皆さん、是非高校生の頑張りに元気をもらい、我々は我々のフィールドで出来る事を一歩一歩出来たらと思う。これは自分自身に言い聞かせる意味を込めて、この言葉を綴らせて頂く。また次の夏が来るまで、「何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ。

おまけ:もし、自分が仙台育英ナインだとしたら。

間違いなく有頂天になっているだろう。それと同時に、とんでもない虚無感に襲われている気がする。甲子園で優勝した、最高の仲間と最高の結果を残した。しかし、もうあんなに熱い舞台で、全く同じメンバーで野球を出来ることはないのである。これは、仙台育英の選手だけではない。ほとんど多くの学生は、自分の挑戦する最後の大会やライブ、コンペなどを迎えたあとに、ある意味自分の人生のなかでの一つの章が終わってしまうことを感じさせられる。その時の哀愁は、耐え難い。特に、真剣に打ち込んでいれば打ち込んでいるほど、燃え尽きたあとは、明日のジョー並みに灰のように白くなってしまうだろう。

昔、嵐のメンバーがTVに出演していた際に、「武道館や東京ドームで最高のLiveをした数時間後には、家に帰って一人で洗濯物を回しているのです」と言っていた時に、我々の見えていないところでの景色がまざまざと想像出来た。甲子園に出ていた高校球児も同じ気分なのではないだろうか。最高の時間を過ごしたけれども、今はまた日常に戻されている。更には、今まであった「野球に熱中する」という色が抜けてしまった日常なのだ。すんなりと心を切り替えるには、時間がかかってしまうのも致し方ないだろう。むしろ、個人的にはゆっくりと心を切り替えてよいと思う。また、次に大きく羽ばたけるように、ゆっくりゆっくりと下にかがみ、飛び立つ瞬間まで力を溜め続けるのだ。

今の時代であれば、SNSが台頭している為、自分に関する色々な評判・噂を目にすることも多いことが想像できる。そのほとんどは、もちろん賛辞や労いの言葉だろうが、なかには心無い言葉を浴びせてくる人もいる。今の時代、有名になる、世間の話題になるということは、SNS上で様々な人の意見に晒されることになるのだ。少しでも多くの人が、SNS上で発する言葉の重みをしっかりと受け止め、心が成長中の若者に適切な言葉を送ることを願いたい。

さあ、この記事が燃え尽き症候群でやる気がでない皆さんにとって、少しでも有意義な何かをもたらすものであっただろうか。不安ではあるが、これを読んだ後に、上を向いて深呼吸をして、「またちょっと頑張ろうかな」と思って頂けるとありがたい。わたしも、絶賛燃え尽き症候群中である。なので、みんな不死鳥になろう。何度何度燃え尽きても、また生まれ変わる不死鳥に

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