”絶対的王者”としての「大阪桐蔭」の威風と淀み

JINより

王者のオーラ “覇王色の覇気”

ここ数年の大阪桐蔭は紛れもなく、甲子園・高校野球界における王者であるだろう。どの高校も甲子園優勝までの道筋を描く上で、「打倒・大阪桐蔭」という難問を越えることは覚悟せざるを得ないだろう。ちなみに最初に言っておくが、わたしは野球部出身でも野球経験者でもない。単なる野球好きのアラサーサラリーマンである。そんなわたしでも、大阪桐蔭というチームの”すごみ”というのを、毎日見ている甲子園の中でひしひしと感じている。

1.大阪桐蔭のオーラ

大阪桐蔭と戦うチームは、普段以上にプレーに力みが出ているように思われる。実際に、暴投やエラー、ワイルドピッチなどが他の試合に比べて多いように感じる。同じフィールドで対戦している球児たちが、画面越しの我々よりもリアルに、大阪桐蔭のオーラを肌で感じているのではないだろうか。その道を極めれば極めるほど、その道を極めている人の凄さが分かるようになる、とはよくいう。

例えばだが、野球選手ならば相手の太ももやお尻についている筋肉の量で、その実力を推し量れるという。また、何気ないキャッチボールや素振りのフォームだけで、技量を見抜けるとのこと。サッカー選手は、パスを受けるときのトラップの精度で大体の技術が分かるらしい。スポーツ経験があまりない人には少し分かりづらいかもしれないので、他の世界のプロを例に挙げると、お寿司屋さんの大将の手は、酢飯を握る関係で腫れ上がったり、赤みを帯びていることが多いという。”目は口ほどに物を言う”ならぬ、”手は口ほどに物を言う”というわけだ。また、常に自分の手の温度を一定に保つために、定期的に冷水に当てたり、はたまた温めたりするとのこと。もう少し身近な例でいうと、車でいうところのブレーキのタイミングだろう。熟練した人ほど、驚くほどスムーズに止まり、止まる際に前のめりに感じる重力すらも感じさせず、どのタイミングで止まったのかも意識させないレベルなのである。これは、街中のタクシードライバーの方でも出会えたりするし、お抱え運転手のような方は必須技術として身につけている気がする。

すこし話が逸れてしまったが、何を言いたいのかというと、甲子園に出ている野球のプロフェッショナルの球児たちであれば、常人以上に大阪桐蔭の選手の実力が分かるのではないか、ということだ。見る試合、見る試合、大阪桐蔭のプレーによって試合の流れが持っていかれることが多いのは事実だが、自分たちの自滅によりペースを持っていかれてしまっているのではないかとも思う。これは、並大抵な努力で培われたものではないであろう。

その昔、頭がおかしいくらいに厳しい練習と日常生活を繰り返していたPL学園の生徒たちは、マウンドに立つときには自然とこう思ったらしい。「自分たちより厳しい練習をしているチームなどいない」、と。その自信が精神的な安定に繋がり、試合の緊張に飲まれずに普段通りのプレーをすることに繋がったとのこと。それどころか、圧倒させられる自信が威風としてその試合に吹き込み、相手を委縮させるほどに自分たちがホームになるような空間を醸成させた。そのような努力と自信が後に、PL学園最強の1時代を創り上げことに繋がった。「負けるわけがない」と選手自身に自然と思わせるくらいの練習を行っているのである。

大阪桐蔭がどのようにしてこのような自信・オーラを身に纏ったのかは定かではない。ただ一つ、圧倒的王者の風格を纏っていることは確かである。

ちなみにいうと、高校野球では特待生は1学年につき5名までと決められているらしい。ただし、学校推薦などの枠には制限がないとのこと。ここら辺も一つの理由にはなるのだろうが、それ以外に挙げるとすると、大阪桐蔭は小学生の球児にまでスカウト班がリサーチをかけ、接触しているとの背景もある。つまり、若い才能の発掘に他校よりも力を入れているのである。ここまでいくと、最早、ビジネスの域に達してきている気がする。ユニコーン企業を見つけ、エンジェル投資家として初期段階から投資をしていく流れとどこか似ている。大阪桐蔭は、高校野球というビジネスをやっているのだろうか?

こんなことを言ってしまうと、色々な人に叩かれてしまうのが分かるのでここら辺でやめておきたいが、あくまでも尊敬の念を込めた上での発言である。そう思うくらい大阪桐蔭が高校野球に対して、学校全体で情熱を捧げていることに、どこか恐怖すら感じるくらい、狂気的に真剣なのだ。

絶対的王者の陥落にみる、トップを走り続けることの難しさ

本日、会社で流しっぱなしになっている画面越しに、衝撃の映像が流れてきた。大阪桐蔭の敗戦の報である。目を疑うと同時に、ゲームチェンジャーが現れるほどの風が吹いたのか、一時の不調か気になった。

王者で居続けることは、王者になることの何倍も難しい。ビジネスの世界では、一回トップに躍り出た企業は比較的その優位性を保ちやすく、その座を失うことはあまりない。だが、永遠に王者で入れることは極めて稀である。それはきっと、追われる立場だから見える景色、感じることと、追う立場だから見れる景色、感じることに違いがあるからだろう。長時間戦わなければならないマラソン競技において、終始1位で居続けたままゴールを迎えることは非常に難しい。なぜなら、2位以下のほうが1位の作るペースの中で調整することが可能だからである。

更には築いてきた壁が高ければ高いほど、小さな亀裂が予想以上の破壊を招くことがある。今回の下関国際は、大阪桐蔭に対して”淀み”を作ったのである。大阪桐蔭ほど巨大かつ精緻なチームでは、小さなネジ一つの狂いがバタフライエフェクトのごとく作用する。

高校野球独特、という意味では、高校野球を続けられるのが3年間だけ、というのも要因の一つだろう。簡単に言うと、王者としての経験を最長でも3年間しか出来ないのである。これが企業であれば、長年トップとして生き長らえることが出来る。経済やビジネスモデルが続く限り、トップに君臨し続けられるのである。しかし、高校野球は違う。たった3年間しか王者として居続けられないのであれば、大阪桐蔭という箱がどんなに強固になっていこうとも、中身である球児たちの成長との間には乖離が生まれてしまうのかもしれない。

このようなとこにも、高校野球の醍醐味がある。有限な期間の中で出来る経験は有限である。それが例えどんなに深く鮮やかで貴重な経験だとしても、それを享受できる期間に限りがある。もう1年あれば、もう半年あれば、もう3カ月あれば、、、。それが出来ないから楽しい。如何に限られた時間の中で化けていくのか。これは、すごーく目を細めてみれば、人生にも置き換えられるのかもしれない。あの時こうしておけば、もっと若ければ、あと10年生きられれば、、、。そんな後悔の味は、歳を重ねれば重ねるだけ痛烈に味覚を刺激してくるだろう。その味を知っている人ほど、高校野球に首ったけになる。

今日の試合、下関国際は何度も淀みを与え続けた。それは、きっと数回であれば耐えられたものだろう。しかし、絶え間なく淀ませることにより、たった一つのパイが倒れ、それがドミノのごとく伝染していったのではないだろうか。

今日の今日まで、色々なチームからマークされ、色々な人からの期待という重圧に耐え、そんな中でも素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた大阪桐蔭の選手、関係者には心より尊敬と感謝の言葉を送りたい。今日の敗戦の味が、風化されることなく、深みのある味わいとして、今後の人生のエッセンスの一つになれば嬉しく思う。

そして下関国際の選手、関係者の方々、今強烈な追い風が吹いている。どうか、しっかりとハンドルとブレーキを握ってほしい。そのまま流れに乗ることで加速するか、コントロールを失って転んでしまうか。今日この瞬間から、大きな期待と好奇の視線に晒されるだろう。だが、それらを全身から浴びて楽しんで頂きたい。どうか、まだ、この暑さを残暑と呼ばせないでくれ。いつまでも夏休みを続かせてくれ。

ちなみに、わたしは聖光学院推しである。

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