目に見えない敵(コロナ)とも闘った、高校球児

JINより

今年の甲子園を語る上で欠かせないのは、球児たちや運営側関係者などを含め、全員がコロナと闘った上で成功させている、ということだ。もちろん、何をもって成功というのか、まだコロナ前に完全に戻ったわけではない、という意見もあるだろう。だが、今年、甲子園のマウンド上の勇者たちは着実にコロナに打ち勝ちつつあることを証明している。

2年前、実に79年ぶりに春夏甲子園の中止が決定した。2年以上前から甲子園ファンの者にとっては、あの時に涙を流した球児たちの姿がまだ脳裏に焼き付いている人も多いだろう。実に3年もの間、それも高校という若者の青春にとって遥かに長い期間をかけて努力した結果を、甲子園という舞台でパフォーマンスできなかったのだ。それも、誰のせいでもなく。

79年前は日中戦争を契機に、日本を含む世界が大戦により多くの血を流し、誤った歴史を書き連ねる中で中止となった。そしてそれから数年間にわたり、日本中が1日1日を生きることに必死になり、野球から遠ざからなければならない時期を余儀なくされた。戦後の1946年に復活するも、最初は参加が出来ない地域もあり、1958年になり、ようやく47都道府県の代表が揃った大会が開催された。

これらのことから分かるのは、スポーツは平和な世の中であることを象徴しており、甲子園は正に平和の祭典の1つなのである。

視野を一旦ワールドワイドにしてみよう。2月より始まったウクライナ危機により、多くの人々が苦しみと悲しみの日々に襲われることとなった。そして、その原因であるプーチン大統領を含めた一部の人々の為、ロシア人スポーツ選手は様々な大会への参加が困難になった。1つの実例を挙げると、今年の11月から開催が予定されているカタールW杯へ、ロシア代表は出場することが出来ない。W杯といえば、世界トップレベルで有名なスポーツの祭典であり、そこに出場することを一生の夢として努力してきたものも多いだろう。しかし、現実とは残酷なのである。個人の想いや努力、夢すらも踏みにじる巨大で邪悪な力があるのである。もちろん、戦争が良くない事なんてほぼ全人類が認識している紛れもない事実であり、ロシアという国がウクライナを攻めた以上、構造関係としては、ロシアが加害者になる。しかし、それを個人までカスケードしたとき、その戦争の事実の下に、どれだけのロシア人の戦争反対の気持ちが隠されてしまっているのだろうか。悔やみきれない想いを言語化することで、より多くの人にもそのような事実を認識してもらえると嬉しく思う。

さて、視野をもう一度、酷暑の邪馬台国に戻してみよう。

今年3年生として優勝旗をかけて戦った球児たちは、1年生の時、「大会中止」という現実を突きつけられた。それと同時に、この惨状がいつまで続くのか分からないという不安にも襲われただろう。「もしかしたら、自分たちが高校球児でいる3年間に一度も開催されないかもしれない」、そんな懸念も抱いたはずだ。そう思わせるくらいに、コロナという敵は際限のない恐怖を我々の心に植え付けてきた。そして、時には学校が閉鎖になりながらも、集団感染で練習が中止になりながらも、ワクチンの副反応で体調を崩しながらも、一筋の光を信じて駆け続けなければいけない毎日が始まった。大会が行われる保証がない中での練習は、どのようなモチベーションで行っていたのだろうか全てが満足にいくわけではない環境の中での練習は、どのような感情を抱かせたのだろうか。きっと、我々では想像できないほどの忍耐が求められたに違いない。厳しい練習に身を投じることは非常に過酷ではあるが、練習に身を投じれないことはもっと過酷である。やりたいことが出来ないことほど、悔しいことはないだろう。

しかし、蓋を開けてみると、若きグランドの戦士たちは、一回りも二回りも成長した姿を我々に見せてくれることになる。その眼は目の前の1球だけに集中しており、その胸には仲間との絆が刻まれている。更には、「ブラスバンド」による最高の音色が、聴覚からも楽しませてくれる。マスクを着けながらも、チアリーディング・応援団・観客が会場をより一層華やかに彩る。こんな舞台が幕を開けると、誰が想像できただろうか。信じて戦い続けた我々が、着実にコロナへの対策を講じ、夢の舞台を実現させたのである。それは、今このブログを読んでいるあなたが、さりげなく毎日着け続けたマスクが。このブログを今後読んでくれる予定のあなたが、さりげなく消毒をし続けた手が。このブログをもう読まないと決めたあなたが、ついたてに囲まれて食事したあの時間が。日本中で日々行われたさりげない行動が、繋がりに繋がったうえで、開催に漕ぎついたのである。

つまりは、多くの人々の努力のおかげで、このエクスペクタクルスポーツヒューマンリアリティーショーである甲子園が作られたのである。だからこそ、熱中してみたくなるのだろう。一見、自分とは全くかけ離れた世界であるような甲子園の舞台は、さりげないあなたの日常の行動が紡いだ先の物語なのかもしれないのだから

ソーシャルディスタンス、アルコール消毒、マスク、パルスオキシメーター、体温計、PCR検査、さあ、何でもかかってこい。我々はたとえ何を求められようと、全ての責務を果たしたうえで、甲子園を見る覚悟があるのだから!

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